ローブ・ド・シャンブル コム・デ・ギャルソン——室内着の先へ

2022年6月12日
TシャツとトレーナーはBIGI。『an•an』(平凡出版)1983年9月16日号 62ページ

ローブ・ド・シャンブル コム・デ・ギャルソン(robe de chambre COMME des GARÇON)

  • スタート:1981年
  • デザイナー:川久保玲
  • 対象:レディース
  • ブランド名の由来:「室内着」や「ドレッシングガウン」を意味するフランス語

概要

ローブ・ド・シャンブル コム・デ・ギャルソン(以下ローブ・ド・シャンブル)は川久保玲さんが立ち上げたホームウェアのデザイナーズ・ブランドです。

DCブランドのコム・デ・ギャルソンについては以前に紹介しましたが、

コム・デ・ギャルソン——カラス族とアートと

コム・デ・ギャルソン(COMME des GARÇONS) スタート:1969年…
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↑のコム・デ・ギャルソンがコレクションも発表する中心ラインとすれば、このローブ・ド・シャンブルは室内着など、やや日常的なウェアを打ち出したラインと言えます。2004年に終了し2005年以降は同じく川久保さんの手がける「コム・デ・ギャルソン コム・デ・ギャルソン」(コムコム)に統合されたため現在はなくなっているのですが、1981年スタートということもあり80年代のブランドを考えるときには印象深いラインです。

コム・デ・ギャルソンのセカンドラインとしては「トリコ コム・デ・ギャルソン」もあります。

「トリコ」がニットを中心とした少女的で「かわいい」雰囲気を持つのに比べ、ローブ・ド・シャンブルは大人というか「室内着」らしい、装飾を控えた質実剛健な魅力を服から感じられます。

「室内着」について

当時の雑誌『販売革新』(1982年9月号)によると、ローブ・ド・シャンブルのアイデア自体は1978年ごろに生まれていたようです。これはパリ・コレクションへの参加よりも前のことで、当時ブランドのイメージは今のようなアバンギャルドなものではなく、「シンプル」「あきのこない」といった感じのものでした。

なので、

ファッション関係者の間で、コム・デ・ギャルソン風のホームウェアがあったらいいという声が高かった

『販売革新』(商業界)1982年9月号 214、215ページ

と、アイデアのきっかけとして載っているこの声も、穴だらけでメタルボタンのついたホームウェアがほしかった、ということではなく、素材の良い、けれどこだわりのある室内着があったらいい、ということで、それなら結構分かります。

パジャマのような完全なナイトウェアでもない。フリルなどで飾られた動きにくいものでもない。ただシンプルで着心地の良い、でもファッショナブルな室内着(部屋着)というアイデアは実際魅力的です。

先取りと追いつく時代

ただ、この1978年時点では青山ベルコモンズにショップをオープンするところまでは行ったものの、「先取りすぎた」ようでお客さんには受けず、いったんこの「ギャルソンの室内着」はなくなってしまいました。

それがだんだんとDCブランドが世の中に受け入れられ出し、コム・デ・ギャルソンとしても営業的に成り立つ目処がついた1980年ごろ改めて企画が再開、1981年のブランド誕生に至ります。『販売革新』同号が出るころには

現在、東京・六本木のアクシスビル、渋谷のパルコパートⅡの2つの直営ショップのほか、同社のフランチャイジー店ではコーナー展開されている。

『販売革新』同号 214ページ

というぐらいには発展していたようです。

『アンアン』1984年8月24日号には、ビギのインナーウェア・ブランド「ドゥスール」が特集されています。

ドゥスールのウェア。『an•an』(マガジンハウス)1984年8月24日号 48ページ

 コム デ ギャルソンには『ローブ ド シャンブル』があるし、ニコルには『シャンブル ド ニコル』、ヨーガンレールには『ティント』、BASSOには『シャビージェンティール』といった具合に、インナーの充実ぶりは目をみはるばかり。『キッド・ブルー』や『ホームズアンダーウェア』も大健闘中だし、『45RPM』のパジャマなんてのも見逃せない。(略)
そこで、BIGIのインナーブランド『ドゥスール』。

『an•an』同号 48ページ、49ページ

同号のこうした記述を見ると、このころにはすっかりDCブランドのホームウェアも定番化していたことが分かります。1982年に上記『販売革新』で「人気絶頂のデザイナーズブランドが、なぜいまホームウェアを売るのか。」とローブ・ド・シャンブルが問いかけられて2年、ドゥスールは「やや遅きにきした感のあるビギのインナーウェア」と特集が始まるくらいには、時代は変わっていたのでした。

日本人が豊かになっていくのに合わせて、外出用の「おしゃれ着」だけでなく「室内着」にこだわる人たちも増えていった、ことが窺えます。

では、当時のを見ていきましょう。

『販売革新』同号 215ページ

ラクな雰囲気を持ちながら、ちょっとした外出なら出かけられそうな、しっかりとした印象もあります。写真にもありますが、ダブッと部屋着で着られる一方、外出時はインナーにできる使いやすさです。

色が白黒で申し訳ありませんが、実際のカラーは白、グレー、黒、紺などで、さらにクッション、シーツ、タオル、ブランケット、女性用の室内ばきなども用意されていたとのこと。

またポイントとして、「単品主義」があげられます。

たとえば上下がついになっているようなものでも別売りしている。その理由は、たとえ家の中で着るものでも、あのシャツにはこのパンツを合わせたいといったその人なりのコーディネーション、おしゃれをする心を大切にしたいからである。いうまでもなくこのことは、「家の中で着るものも大切にしたい」というコンセプトの反映だ。

『販売革新』同号 217ページ

『販売革新』で「難点は価格。」と書かれているくらいですから、ここで挙げられたような、シンプルで心地いい素材の服をそっと選びながら室内で過ごす、という、単品主義のコーディネーションを楽しめるくらいに服を揃えられた人は少数派だったかもしれません。でも、室内着にそういう世界観が提示されている、というのには惹かれるものがあります。

そんな感じで、ブランド立ち上げのころは「ローブ・ド・シャンブル」の名前のとおり「室内着」「部屋着」のイメージも強かったのですが、後年の『アンアン』を見ると結構その印象も変わっています。

1983年。ネルのパンツ、タイツのほか、靴もローブ・ド・シャンブルです。
白いレーヨンジャケット。スカートは「トリコ」。『an•an』(マガジンハウス)1984年3月16日号 59ページ

こうした服を見ると、「室内着」らしさもありつつ、コーディネートを楽しむ「おしゃれ着」の雰囲気も強い。

2000年のインタビューで川久保さんは

新しくて強いものは何かと常に探りながら作っているのがコム デ ギャルソンです。ローブ ド シャンブルはそれとは違い、私自身の、大げさにいえばそれまでの生き方や価値観、ライフスタイルが表現されているブランドだと思います。自分が生きてきた中で、ずっと好きだったものを形にすることもあるし、過去、コム デ ギャルソンで使った素材を生かすこともある。

『婦人公論』(中央公論新社)2000年12月22日・2001年1月7日号 47ページ

と語っていますが、実際次第に「室内着」にとどまらないライフスタイルを表現するブランドへローブ・ド・シャンブルは変わっていった、という印象を受けます。

店舗について

最後に、当時のお店について紹介します。

80年代のローブ・ド・シャンブル店舗の外観が見たいな、と思って、図書館で調べたところ近藤康夫さんというインテリアデザイナーの方が担当されていたのが分かりました。そこで、氏の著作集『インテリア・スペース・デザイニング』を見てみたところ……。

『インテリア・スペース・デザイニング』近藤康夫(グラフィック社)1989年 54ページ

最初、これは建設前のスペースで、このあと店ができていくのかな、と思いました。

『インテリア・スペース・デザイニング』 55ページ

え。

全ての機能部は腐食ガラス奥に配し、空間は原空間として存在する。

『インテリア・スペース・デザイニング』 55ページ

これって、この曇りガラスの奥にラックや商品はあって、ビルの2階にあるこの店舗の、このなにもないスペースは、柱だけの「無」(原空間)てことですよね?!

私は図書館で、はー! と思いました。近藤さんのデザインも格好良いし、それを実際にかたちにする川久保さんも本当に格好良くて、ますます憧れてしまいます。当時の「ナウい」がこういうものを指すなら、「ナウい」という言葉自体(この言葉が表していた「新しさ」自体)、まったく古くなっていないのではないか。そんなことまで考えました(?)。

『インテリア・スペース・デザイニング』 53ページ

最後はちょっと謎テンションになってしまったものの、ともあれ以上、DCブランドとして、80年代のローブ・ド・シャンブル コム・デ・ギャルソンを見てきました。

80年代という時代は今、シティポップを中心に、バブリーというか明るくてキラキラした、ネオンサインのようなイメージで人気を集めています。でも、こうしたシンプルで硬質的で、「シティ」というより「都市」のようで、でも不思議とあたたかな、そんな格好良さも持っていたのではないか。そういうのは同じシンプルでも「ていねいなくらし」ともちがい、今の世の中から消えてしまったもののような気がして、寂しいですが、好きだな、と思います。