ワイズ(Y’s)
- スタート:1972年
- デザイナー:山本耀司
- 対象:レディース
- ブランド名の由来:デザイナーの名前から
概要
ワイズは山本耀司さんが立ち上げたデザイナーズ・ブランドです。
レディースが対象ですが男物の雰囲気を持つ婦人服として作られて来たため、シャツの合わせは右が前になっていたりします。
耀司さんは1981年にコレクションラインのヨウジヤマモトを立ち上げ、作家性の強い作品を発表していきますが、当記事ではDCブランドの視点から氏の最初のブランド「ワイズ」に着目して紹介していきます。ワイズ以前の耀司さんについては、こちらの記事もどうぞ。
年表
1972年 ブランドスタート
1976年 青山ベルコモンズに初の直営店を構える
1977年 ワイズ第1回コレクション発表
1979年 ワイズフォーメン(メンズ)の制作開始
1981年 「ヨウジヤマモト」でパリ・コレクション初参加
1982年 「黒の衝撃」と呼ばれるコレクションを発表
当初「まったく」売れなかったというワイズは第1回コレクションが転機となり、高い人気を集めるようになっていきます。コレクションでの出来事です。
ショーのために出来上がってきたサンプルの服を見て、何となく納得がいかない。そこで、ショー前日に、洗濯機で洗っちゃってくれとスタッフに頼みました。洗って干し、そのままアイロンもかけないでショーに出したんです。そうしたら、素材がすごく力強く見えたらしい。当時よく、「しわの美学」などと言われたものです。
『服を作る 増補新版』山本耀司(宮智泉・聞き手)(中央公論新社)2019年 42ページ
こうして生まれた新しく力強い服は、女性像が保守的なものから移り変わっていく70年代後半、80年代前半という時代に沿い、ブレークしていったと想像できます。同じく「新しい」女性に支持を受けて来た川久保玲さんのコムデギャルソンとも通じるところです。
パリでの「黒の衝撃」もあり、川久保さんと耀司さんは盟友という印象を受けますが、実はワイズ最初の直営店、青山ベルコモンズ時代にも二つのブランドにはつながりがありました。
隣同士! これは1980年の資料ですが、2つのブランドがともに好きな私には、ちょっとうれしくなるフロア図です。ちなみにそれぞれが路面店を持つようになる1984年には、ベルコモンズから両ブランドはいなくなり、地下1階にはコムサデモードが入っています(『別冊アングル TOKYOブティック大特集』より)。
DCブランドとしてのワイズ
おなじみの岡崎京子さんの漫画『東京ガールズブラボー』の主人公サカエの友達、ミヤちゃんのママの格好がこれです。
ミヤちゃんは直情型のサカエに比べると詩を書いたり、うつっぽくなったり浮き上がったりする、ちょっとブンガク的なところのあるキャラクターなのですが、そのお母さんも「けっこー有名なエッセイスト」と設定されており、そして「オールY’s」です。
耀司さんはワイズを「自立しようとしている女の人たちを応援するような労働着」(『服を作る』42、43ページ)として作りたかった、と語っています。実際にその願いは通じ、ワイズは「キャリアガール」から支持されるブランドとなりました。
岡崎さんにもそうしたイメージがあったからこそ、「オールY’s」の矢印が添えられたのだと思います。今調べて知ったのですが、「男女雇用機会均等法」のもとになった「勤労婦人福祉法」は1972年にできたようで、ワイズと同じでちょっと面白いです。
さて、そんな当時のワイズの服はこんな感じです。
80年代当時のワイズのお店はこんな感じです。
やっぱり、素敵ですね。ちなみに、店舗写真にあるワイズのロゴは現在のロゴとちがう昔のロゴで、今のものに比べるとゴシック体で力強く感じられます。
『東京ガールズブラボー』にはマーキン(サカエたちの友達)が急に失踪したため彼が置いていったコートや服をみんなで勝手に着て帰るという実に良い(?)シーンがありますが、ここでもワイズなのでした。
最後に
これは80年代の「アンアン」に見つけた耀司さん密着企画での写真です。
か、格好良い……。「ミニマリスト」を先取りしています。昨日食べたお菓子の箱とか、だらしない私の部屋や机と比べると、なんというか、人間性のどうしようもない違いを感じてしまいます。片付けよう……。
以上、DCブランドとしてワイズを見てみました。
コレクションラインということもあり、「ヨウジヤマモト」のほうが注目される機会は多いかもしれません。が、「労働着」の無骨さと耀司さんの優しさがともに感じられるワイズも大好きなブランドです。ワイズフォーメンは、そんなワイズを着た女性の横にいる男性の服として作られたそうですが、私はとりあえず、耀司さんの服が置ける部屋をイメージして、片付けようと思います……。