1979年10月21日、『アンアン』の読者は。

2021年1月8日

『an・an』(平凡出版)1979年10月21日号

1979年10月21日(日)

『アンアン』1979年10月21日号(234号)に、「アンアン読者アンケートから/好きなブランドBest20発表」という特集がある。

これは「本誌228号と229号の、アンケートの結果」をまとめたもので、だいたい同年8月ごろのアンアン読者の声が反映されている。その1位が興味深い。

順位

同号6、7ページ

コム・デ・ギャルソンが1位! 「恋愛現役女子」が対象の現役『アンアン』と、今の「コム・デ・ギャルソン」からは想像がつかないが、当時のページを紐解きながら、その想像をしてみたい。

1970年『アンアン』創刊

『アンアン』は1970年3月に創刊された。『20世紀エディトリアル・オデッセイ』(赤田祐一/ばるぼら 誠文堂新光社 2014年)によれば、創刊当初の『アンアン』はエディトリアル・デザイナー堀内誠一をアートディレクターに迎え

フランスの女性週刊誌『エル』と提携(素材だけ使用して,ページ構成は日本独自におこなっていた),横文字タイトル,A4変型版,オールグラビア印刷,アートディレクション方式の導入,新しい発行形式(月2回刊)など,初めてづくしで視覚重視,画期的な女性誌

『20世紀~』114ページ

だったという。当時堀内の助手を務め、後にデザインを引き継ぐ新谷雅弘の話——「画期的もなにも,みんなわからなかったみたいだよ。「何の本だ?」って販売部の人が言うの。」(『20世紀~』114ページ)

「堀内さん。」から引用。当時の『アンアン』。

堀内さん。- ほぼ日刊イトイ新聞

アートディレクターとして、たくさんの雑誌や本をつくってきた堀内誠一さん。戦後のデ…
www.1101.com

堀内誠一は、現在も使われる『アンアン』や『ポパイ』(1976~)のロゴをデザインし、象の絵本『ぐるんぱのようちえん』の「え」を描いたことで知られるが、1970年当時は14歳で伊勢丹百貨店に入社後、ファッションの展示、ショーに連日連夜関わったあと『週刊平凡』や『平凡パンチ』など最先端の雑誌をデザインしてきたところだった。

今回の1979年10月21日号は、すでに堀内も後任の新谷も離れていた時期ではあるが、『エル』との提携は続いており(1982年5月に『エル・ジャポン』が独立して創刊され提携は終わる)まだ堀内の言う——女の子が雑誌を二つ折りにして,間にフランスパンを挟んで,小脇にかかえてトットットッと歩いている……そういうイメージの雑誌——(『20世紀~』114ページ)のなごりがあるように思われる。

ブランドランキングを掲載しながら、

基本的にはブランドにこだわるのは、つまらないことだと考えています。しかし、たまたま自分の目で選んだ服が、着ているうちに好きになり、良さもわかってくる 、ということは誰でも一度や二度は経験したことがある筈。それが積重なれば、好きなブランド、信頼するブランドが生まれてくるのも自然です。

同号6ページ

と書き添える編集部は、象徴的だろう。なにより最初に紹介されるアンケート・ハガキは、こうである。

「私はブランドなんかぶっとばせ人間。Tシャツ、セーターをはじめ、首すじのブランドのテープは切りとっちゃう。どうしてもこだわるものはティッシュのクリネックスぐらいなもの。ブランドにこだわる人って、親のお金で結婚式をあげてもらう人なんだと思う」

同号6ページ

一読者ではあるが、「親のお金で結婚式をあげてもらう」ことに抵抗を覚える女性が愛読していたのが1979年の『アンアン』だった。当時の「普通」の社会から自立を目指す……そんな女性が選ぶ雑誌として、『アンアン』は機能していたのかもしれない。『アンアン』編集部もそんなハガキをトップバッターに選ぶ。そこには、ある循環が感じられるだろう。
そしてハガキの「私」は「ブランドなんかぶっとばせ人間」だけれど、一方で好きなブランドを持つ読者もいて、コム・デ・ギャルソンは1位に選ばれたのだった。

特集の内容

改めて特集を見ると、ランキングは最初の見開きだけで、あとのページにはあまり使われていないことが分かる。

実際の構成は、「あきない」ブランド(コム・デ・ギャルソン、サンローラン、ワイズ、ピンクハウス、レノマの鞄など)、「適度な価格でしかも好ましい」ブランド(ワールド、タカノ、ロペ、鈴屋、イッセイスポーツ、2CVなど)、「色がいい」ブランド(メルローズ、カンサイ、マダム花井、イグレグ、ロンシャンの鞄など)等、カテゴリーで紹介されていき、人気ランキングというより

「洋服がシンプルで質がいいので伸びたりしない。長く着られて、手洗いできるのもいい」

同号11ページ、ワールドについて

ハッピーな色使いが好き。

同号26ページ、カンサイについて

と、読者からのハガキを引用しつつ、ブランドを見ていく特集となっている。そのなかに「流行の反映」と括られたブランド群があるが、ケンゾー、ニコル、フィオルッチ、ビギ、イッセイ・ミヤケらが挙がる一方、コム・デ・ギャルソンは入っていない。1位になっただけあり「あきない」「素材・縫製がいい」「色がいい」などの項目には登場するものの、「流行」とは捉えられていないのである。

当時のニコルやビギと、

ニコル。同号19ページ
ビギ。同号20ページ

コム・デ・ギャルソンを比べてみよう。

同号9ページ

たしかに「モード」ぽいのは前者のほうだ。コム・デ・ギャルソンがパリ・コレクションに初参加するのが1981年、「黒の衝撃」で話題になるのが1982年だから、当時のギャルソンは実はまだ「流行の先端をいかず、かといって遅れてもいない」(ハガキから)イメージのブランドだったのである。

1979年のコム・デ・ギャルソン、ワイズ

寄せられたハガキから読者の声を見ていくと、それは明確である。

コム・デ・ギャルソン。同号22ページ

まとめれば、デザインに「今っぽ」さを感じさせながら「シンプル」「オーソドックス」「素朴」で「いつまでも古くさくならな」い「着やすい」服、そして「しっかりした縫い方、素材」を使った、「渋い調子」の「他のメーカーには出ない微妙な色合い」をいかした「落ちついて」「あきのこない」服——それがコム・デ・ギャルソンだった。

ハデッぽくないけど、実際着てみるとシンプルなデザインがきいていて、かえって個性的に着ることができるからスキです。

同号22ページ

コム・デ・ギャルソンの川久保玲さんが好きだから。彼女の物静かそうな、それでもってなにか内にひめた鋭さみたいなものが作品にでているような気がする。色もそう派手なものでなく、デザインもごてごてしてない。本当にいい物だなあと思う。

同号22ページ

といった意見はいまのコム・デ・ギャルソンファンとも共通するが、現在ほどの反骨的なブランドイメージはまだない。

ギャルソンのスーツ。同号43ぺージ

このスーツは同号の特集以外のページに掲載されていたものだが、少し80年代のコム・デ・ギャルソンのような感じがしてスキです(うつってしまった)。

同様に「あきない服」という声がギャルソン、サンローランに次いで多かった(と書かれている)ブランドにワイズがある。

ワイズ。同号10ページ

ワイズは山本耀司の最初のブランドであり、氏がWWD JAPANのインタビューで語った

最初の頃は俺の中に理想の、実在しない女性がいた。その女性はどこかの丘の上に立っていて、遠くを眺めている。髪が風でなびき、タバコではなくシガーを吸っていて、かっこいいわけ。で、最後に「私、女辞めたの」と言う。最初は、その実在しない人のためにデザインしていた。

『23歳の記者から山本耀司へ37の質問』WWD JAPAN

23歳の記者から山本耀司へ37の質問 - WWDJAPAN

なぜ今、ヨウジなのか?その答えを探るため、デザイナー山本耀司へインタビューを行っ…
www.wwdjapan.com

というメッセージが今も感じられるブランドである。

ハガキに見える「シンプルだけど組合せ次第で何通りものイメージが出来る」「大切に長く着」たい服といったワイズのイメージは当時のギャルソンとも通じ、現在ヨウジヤマモトに抱かれているようなモードの印象で見られていない点も似ている。

もっとも、山本耀司はレディースのコレクション・ラインとしてワイズではなく「ヨウジヤマモト・ファム」を1981年に立ち上げたため、ワイズそのもののイメージにはコム・デ・ギャルソンほどの変化はないかもしれない(反対に、川久保玲は同年に比較的ベーシック要素の強い、ニットを中心としたブランド「トリコ・コム・デ・ギャルソン」を立ち上げている)。

 おわりに

特集には、これまで挙げたブランド以外にも、靴の卑弥呼、縫製の評価が高いオンワード、丈夫なバーバリーに「ルイビトン」(ビ!)まで、さまざまなブランドが挙げられている。

ビトンに、ビィトン。同号24ページ

今回、当時の『アンアン』がいまの『アンアン』とまったくちがい、コム・デ・ギャルソンも現在のコム・デ・ギャルソンと異なっていたことが見えてきた。だからこそギャルソンは1位になったわけだけれど、その変化自体は2位のサンローランも3位のビギも、今回取り上げきれなかったすべてのブランドに言えることなのだろう。雑誌もブランドも、そのとき表現したい内容や、求められる声によって姿を変えていく。

ただ、1979年10月21日、『アンアン』は”こういう”雑誌であり、コム・デ・ギャルソンは”こういう”ブランドだった、という記録は面白いし、比べると、ブランドを無視してみたり一方では着ているうちに好きなブランドができていったり、という「服好き」の人たちの姿自体は、いまと変わっていないのかもしれない。