服を着るのはいったい誰?――川久保玲

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『装苑』(文化出版局)1978年2月号 24、25ページ デザイン・川久保玲

コム・デ・ギャルソンの変化

 コム・デ・ギャルソンのデザイナー、川久保玲の作る服は大きく変わってきた。以前の記事で、1979年の『an・an』読者からは、「シンプル」で「素朴」な「流行の先端をいかず、かといって遅れてもいない」ブランドとしてコム・デ・ギャルソンが人気を得ていたことを紹介したが、その後パリ・コレクションへのデビュー、”黒の衝撃”を経て、現在ではコム・デ・ギャルソンは日本のファッション界を代表するアバンギャルドで独創的なブランドと捉えられている。

 実際に、1980年代のコム・デ・ギャルソンの服を見ると、すでにそれは「シンプル」とは言いがたい。

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『pen+ コムデギャルソンのすべて』(阪急コミュニケーションズ)2012年 25ページ

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『pen+』24ページ

 なかでも1982年に発表され、その後も数年間続いたぼろぼろで黒い服のコレクション――「ボロルック」は、言わば70年代の「素朴」なコム・デ・ギャルソンを、革新的で実験的な現在のコム・デ・ギャルソンに変貌させていくきっかけとなったものだと言える。

 この大きな変化のとき、川久保玲はなにを考えていたのだろう。

ビジネスの拡大

『VOGUE NIPPON』(日経コンデナスト)2001年9月号のサラ・モワーによるインタビューで、川久保は1981年パリ・コレクションへの進出についてこう語っている。

「それは、ビジネス上の決断でした」とカワクボは話す。「その前の8年間で、東京でのコム デ ギャルソンの骨組みは確立していたんです。でも、もっと発表の場を広げビジネスを拡大するためには、パリに行く必要がありました」

 『VOGUE NIPPON』同号 156ページ

 そう、コム・デ・ギャルソンのパリ・コレクション進出は「ビジネスのため」だったのである。そして、「当初、注目を集めるのは大変だったのだろうか?」というインタビュアーの問いかけに対して川久保は答える。

「どうやればいいのか、そのやり方が全然わからなかったという意味では、大変でしたね」

 『VOGUE NIPPON』同号 157ページ

 このはっきりとした「答え」を知ると、当時のカラフルでセンシュアルなファッションに対して、川久保の打ち出したボロボロで中性的な穴のあいた服たち――言わば”黒の衝撃”たちも――ビジネス的な”戦略”として選ばれたものではなかったかとさえ思えてくる。
 実際に、川久保は1981年秋冬シーズンの小さな展示会をきっかけに、翌年春夏、秋冬とパリでコレクションを発表していくが、「『川久保玲・初期コレクションの「衝撃」に関する検証』のまとめ」によれば、「ボロルック」の象徴とも言える穴のあいた黒い衣服の登場は1982年秋冬のコレクションからであり、それまでにもアシンメトリーの意匠などは用いられていたもののアバンギャルドなイメージとは遠いものがあったという。”黒の衝撃”はビジネスとして「注目を集める」ための「やり方」だったのだろうか。

 1977年のコム・デ・ギャルソンは『装苑』の企画で「ロマンティックカラー」も提案している――。

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『装苑』(文化出版局)1977年6月号 6ページ

 ただし、ビジネス上の戦略であれば芸術的でない、と決めてしまうのは早計だろう。「自分のやりたいこと」をかたちにするため自身が作ったものに最後まで責任を持つ、そのためにビジネスにも関わる、と考え、デザイナーであると同時に株式会社コム・デ・ギャルソンを経営するのが川久保玲という人だからである。彼女に言わせれば「クリエイションとビジネスは別のものではなく、同じひとつのもの」(『pen+』36ぺージ)なのだ。

 そして――まさに、川久保玲は経営者であると同時に、デザイナーなのである。

 

着ることについて川久保玲の考えていたこと

 1983年1月30日、「ボロルック」のコレクションをコム・デ・ギャルソンが発表していたころ、ニューヨークタイムズマガジンのバーナディン・モリスの記事にこうある。

私は、夫の意見に左右されることのない、独立したしっかりした女性のために服を作っている、そう川久保は言った。

 『pen+』、25ページから孫引き

  これを読んだとき、あっと思った。なぜなら、1977年、川久保がまだ日本で「素朴」な服を作っていたときの発言を思い出したからだ。

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当時の川久保。『装苑』(文化出版局)1976年6月号 141ページ

 1977年1月号の『装苑』(文化出版局)に『ファッションライフの設計1 あなたのおしゃれを考える』という特集がある。そのなかで「今、着ることについて私はこう思う」と題し、ファッション関係者が自説を語るなか、川久保もこの問いに答えている。

服を着るのはいったい誰? 川久保玲(デザイナー/コム・デ・ギャルソン)

 私にとって服っていうのは、自分に密着してますね。子どものころからそうだったけど、とことん気に入った服だけを毎日着る。制服も好きだった、あのちょっと抑えられた部分が。だから、好みがころころ変わる人って、信用できない気がするのです。それと、自分で服が選べない人、彼の意見にふり回される人はいやですね。ただ漠然と生きているのではなく、自分の一生にめりはりをつけることのできる人ならば、きっと自分なりの着こなしができると思います。せめて着ることくらい、自分を通していいんじゃないかしら。

『装苑』同号、86ページ

 表現の仕方はちがっても、この1977年の答えと先の1983年のインタビューでは、ほとんど同じ内容が語られている。「彼」や「夫」に左右されない、「独立した」「自分の一生にめりはりをつけることのできる人」――。完成形としての服は70年代と80年代でまったく異なっているが、川久保玲がイメージする「服を着る人」の姿は同じなのである。

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デザイン・川久保玲。『装苑』(文化出版局)1975年11月号 101ページ

 このことを考えるとき、やはり100パーセントの”戦略”として「ボロルック」が選ばれたとは思いがたい。その側面があったにせよ、70年代と80年代という時代のちがいに応じたそれぞれの「しっかりとした」女性のために、川久保は服を作ろうとしたのではないか。ときには素朴に。ときにはアバンギャルドに。

 2009年12月21日に配信されたasahi.comのインタビューで、川久保は最後にこう語っている。

私のしていることはずっと同じです。周りが少しずつ変わって、その時々の社会やムーブメントに合わせて語られてきただけ。たとえば、私は80年代からライダースジャケットを着ていましたし、いつも同じスタイル。私自身の在りようや気持ちの中は何も変わっていないし、これからも変えるつもりはありません。

『いい物は高いという価値観も… 川久保玲』asahi.com

 反骨精神について地上波で語った2020年の川久保玲にも、いまのコム・デ・ギャルソンにも通じる言葉だろう。漠然と生きるのではなく、自分の一生にめりはりをつけて生きること。そんな生き方をするひとに向けて、姿を変えながら、変わらずにコム・デ・ギャルソンは送られ続けている。