山本耀司が世に出るまで

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『装苑』(文化出版局)1969年4月号 160ページ


助走

 ファッションデザイナー山本耀司が生き方、考え方を語った『服を作る モードを超えて』(聞き手・宮智泉 中央公論新社 2019年増補新版)によれば、氏が慶應義塾大学法学部卒業後文化服装学院に入学したのは、ただファッションデザインを学びたかったからではなかった。

 卒業を前にして「現実に向き合いたくない、就職して競争社会の歯車になるのは嫌だ」と山本耀司は強く思うようになっていた。氏は最終的に、母が経営していた洋装店を「手伝いたい」と切り出す。最初は絶句されながらも、ついに「裁断ぐらいは習ってきなさい」と送り出された。それが、きっかけという。

 

 もちろん洋装店を切り盛りする母のもとで育ったこと(父は戦死している)、高校時代ファッション・イラストレーター長沢節主催の絵画教室に通い、藝大に進むことを真剣に考えるほど絵が好きだったことを思うと、モラトリアムの延長ばかりとは言えないが、それでもデザイナーをいちずに夢見た――スタートでなかったことは興味深い。また、山本耀司はこうも語る。

装苑賞の応募作の数々を見て、「へえ、こういうものが作れるんだ」と感心することがありました。学生で実力がある人たちと競い合ったおかげで、自然とファッションデザインというものに目覚めていったのだと思います。

『服を作る』35ページ

 

装苑賞

 装苑賞は、雑誌『装苑』の創刊20周年を記念して1956年に創設された、日本を代表する公募のファッション・コンテストだ。現在も続くこの賞で、山本耀司が受賞を果たしたのは第25回、1969年のこと。合わせて遠藤賞という文化服装学院生の優秀なデザインに贈られる賞も受賞し、ダブル受賞を果たしている。

 山本耀司の文化入学は1966年だから、当時の「応募作」には、1967年第21回受賞の山本寛斎や1968年第24回受賞の熊谷登喜夫らが挙げられるわけで、たしかに、錚々たるメンツといえる。

 

候補作品の数々

  装苑賞では、『装苑』誌上に候補作品が掲載されていくが、山本耀司は受賞までに13作品を選出されている。13作品のうち、現在も書店で入手できる『All About Yohji Yamamoto from 1968 山本耀司。モードの記録。』(編集・田口淑子 文化出版局 2014年)では受賞作ともうひとつ、2つの作品を見ることができるが、今回はその『モードの記録』に載っていない候補作品をいくつか見てみる――

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『装苑』(文化出版局)1968年3月号 165ページ

 初めて掲載された作品だ。中村乃武夫による選評では、デザインそのものは「若々しくフレッシュ」と評価されるも、できあがった洋服に関しては肩幅と袖口との関係などバランスの点で指摘を受けている。たしかにデザイン画とまったく同じにはなっていない。一方で、高い立ち襟は現在のヨウジヤマモトのコートにも見られるデザインであり、独自のエレガントな雰囲気の萌芽も見える。

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『装苑』(文化出版局)1968年6月号 180ページ

 同年6月号では、2作品が取り上げられている。選評は左を小池千枝、右を原田茂が担当し、小池千枝からはドレッシーなものになりがちな白と黒の構成をユーモラスなものにまとめた点が評価された一方、「構成に間が不足した」との指摘も受けている。原田茂は、仕立てはきれいであり、だいたい絵型どおりにできているが、デザインのポイントである大きくふくらんだ袖が再現されていないとして「裏を張って,カフスの幅をあと1センチ狭くしたらよかった」など具体的な指示を、ほかに布地のことも含めて述べている。二人ともデザイン画の評価は高い。また、いまの山本耀司の活躍を知っていると、白と黒の構成を「ユーモラスなものにまとめ」あげるという評価そのものが興味深く思える。

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『装苑』(文化出版局)1968年12月号 160ページ

 今回最も好きなのがこの12月号の作品だ。良いですね。
 モデルの表情やポーズが服と合って、雰囲気が出ている。小池千枝による選評では、「若い人が着るドレスとして楽しいおもしろさを演出しています。それに強くひかれました」とコメントされ、否定的な意見、指摘は見当たらない。「グレーと白のどっしりとしたウールの中に,透明なビニールを」組み合わせた生地使いも面白いが、これまで見られたデザイン画との食い違いも少なく、むしろ、デザイン画にない新たな魅力さえ獲得しているように感じられる。

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『装苑』(文化出版局)1969年2月号 154ページ

 翌年発表されたこの作品は、装苑賞受賞直前の作品となる。選評は笹原紀代によるもので、以下に引用すると……

デザイン,配色,生地の選択,縫製のすべてにわたっていうところなし。最近の傑作だと思います(ちょっとほめすぎかな?)。でもこの程度の作品には,数年に一度くらいしかお目にかかれないような気がする。感覚は現代的でシャープでありながら,洋服のもつ伝統的,古典的な形態への理解をもち,そのうえで新しい造形美をねらう作者の行き方に豊かな将来性を感じるのです。

『装苑』(1969年2月号)

 と、一貫して評価は高い。フロント部分が印象的なデザインは、たしかにスマートで見事だ。そして数か月後には念願の受賞を果たすことになる。

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FASHIONSNAP.COMの記事から引用。

www.fashionsnap.com

 受賞作品は、「グレーのチンチラと白のダブルジョーゼットを組み合わせたコートドレス」(チンチラは毛皮の種類、ダブルジョーゼットは二重織のジョーゼットのことで、生地の名前)。コートの袖ベルトが拡張されたような腕回り、丸いポケット(丸は縦に半分区切ってあり、手が差し込める)のついたスカート、毛皮、とこれまでの作品以上にアバンギャルドな雰囲気を持って作られている。『装苑』の写真では白黒なこともあり取っつきにくい印象も受けるが、FASHIONSNAP.COMの画像では色のトーンもわかり、そのポジティブな空気を感じることができる。

 「布地で区切った毛皮の現代的な扱いが好評だった」この作品は、いまのヨウジヤマモトの服とはあまり似ていないが、独自のデザインとそれをかたちにした技術はまさにこれまでの集大成であり、受賞にうなずかされる作品といえるだろう。

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『装苑』(文化出版局)1969年4月号 159ページ

 ちなみに同時受賞した遠藤賞の作品は、「キャンパスファッションの影響がみられる軽快なパンツルック」ということで、スポーティな印象を受ける作品だった。足のところに「腕ベルト」的モチーフも見られる。しかし、1969年と言えば1月に東大安田講堂での攻防戦が行われた年だが、その時代の「キャンパスファッション」はこうだったのだろうか。

 いや、そんなこともないだろうけれど、「影響」がどのあたりに表れているのか、ちょっとわからない。気になります。

 

受賞後

 賞を目指して競い合うなかで「ファッションデザインというものに目覚めていった」山本耀司は、遠藤賞副賞のパリ往復航空券で、日本を旅立つ。

 前年の五月革命以降、価値観が大きく変わっていっていたパリの町には、ソニア・リキエルなど既製服のブランドで身を固めた人々が風を切って歩いていた。それは文化で習った注文服の手法とあまりにちがう世界で、山本耀司はショックを受ける。そして帰国後、このときの「これからはプレタポルテの時代だ」という思いを実現するため、母の店で修行を積み資金を貯めながら、1972年、ついに自身のブランド「ワイズ」をスタートさせるのである。

 

 最後の画像は、そんな「受賞後、ワイズ前」の山本耀司による作品だ。メタルボタンとポケットを活かしたズボンのシルエットは、パターンの美しさを評価されることが多い、ヨウジヤマモトの服と通じるものがある。

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『装苑』文化出版局 1970年6月号 108、109ページ