生前服

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コム・デ・ギャルソン——カラス族とアートと

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ピーター・リンドバーグ撮影。1981年。
『COMME des GARÇONS』(筑摩書房)1986年 138ページ

コム・デ・ギャルソン(COMME des GARÇONS)

  • スタート:1969年
  • デザイナー:川久保玲
  • 対象:レディース
  • ブランド名の由来:少年のように(少年の持つ冒険心とも)

概要

 コム・デ・ギャルソンは川久保玲さんの立ち上げたデザイナーズ・ブランドです。川久保さんは旭化成の宣伝部に勤めたあとスタイリストになり、その後ブランドを立ち上げました。1973年には株式会社化しています。

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川久保玲。『MR.ハイファッション』(文化出版局)1984年春号 148ページ

 現在でもコム・デ・ギャルソンは人気を博していますが、今回はDCブランドとしての一面に着目し、80年代前半のブランドやそのラインを主に紹介していきます。
 80年代は他のDCブランドと同じように、コム・デ・ギャルソンにとってもブランドの発展期でした。

年表

 1969年 ブランドスタート
 1978年 コム・デ・ギャルソン・オム(メンズ)スタート
 1981年 パリ・コレクション初参加
 1982年 「黒の衝撃」と呼ばれるコレクション発表。パリに初出店
 1983年 ニューヨークに初出店
 1984年 パリ・コレクションでメンズを発表

 パリ・コレクションへの参加や世界各地への出店と拡大の様子がわかります。また今「ギャルソン」と聞くと黒かったりアバンギャルドだったりする服を想起される方が多いかもしれません。こうした激しいデザインを川久保さんが始めたのもこの時代でした。ブランドが始まったころ、1970年代は「シンプル」ながら個性のある服、というイメージが多かったのです。
 この変遷については、以下の記事で触れていますのでどうぞ。

seizenfuku.com 70年代末のコム・デ・ギャルソンがどのような存在だったか。

seizenfuku.com 80年代のコム・デ・ギャルソンについて。

DCブランドとしてのコム・デ・ギャルソン

 80年代前半の少女たちを描いた岡崎京子さんの漫画『東京ガールズブラボー』に、こんなコマがあります。

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『東京ガールズブラボー 下』岡崎京子(宝島社)1993年 107ページ

 主人公サカエは「ハウス・マヌカンになりたい」と言います。ハウスマヌカンとはDCブランドの販売員さんのことです。実際の社会でも憧れの職業となっていました。そんな80年代当時のコム・デ・ギャルソンや、お店の様子を見てみます。

 洋服はこんな感じでした。

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『Olive』(平凡出版)1983年10月3日号 18、19ページ

 当時のお店はこういう感じです。

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『angle別冊NO.15 TOKYOブティック大特集』(主婦と生活社)1984年 182ページ

  サカエが憧れるのもわかるくらい、このコム・デ・ギャルソンは格好良いと思います。すごく「大人」で雰囲気があり、店舗もおしゃれです。
 サカエはどちらかというと、『Olive』や『an・an』のような雑誌からブランドを知ったと思われ、普段のファッションは『宝島』少女ぽいロック、パンク系だったりオリーブ少女的だったりします。コム・デ・ギャルソンを身につけているのは(確認できるのは)マフラーと手袋くらいです。

 一方で当時のギャルソン愛好者にはもっとブランドに染まった、「カラス族」と呼ばれる人たちもいました。黒づくめの彼女彼らは、DCブランドとしてコム・デ・ギャルソンを考えるとき、忘れられない存在です。

全身黒づくめ

 「カラス族」は80年代前半に登場し、全身黒色にまとめたファッションを好みました。ブランドではコム・デ・ギャルソン、山本耀司さんのワイズ(ヨウジヤマモト)、アパレル企業ファイブフォックスが展開していたコムサ・デ・モードなどが「カラス族」的ブランドとしてあげられます。いずれも当時、「黒」が特徴的な服を作っていました。

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『東京の若者 渋谷・新宿・原宿「定点観測」の全記録』(パルコ出版局)1989年 69ページ

 上の写真は『月刊アクロス』が行なっていた企画「定点観測」で撮影された1982年10月2日(土)の渋谷(左)と原宿(右)の女性です。おそらく面識のない二人ながら、服だけでなく鞄、靴、表情も似ています。「族」たるゆえんです。
 こうした、だぶだぶした服と黒づくめが「カラス族」の特徴だったのですが、コム・デ・ギャルソンをはじめDCブランドの服は高かったので、全身固められる人は少なく、似たようなデザインを安いお店で買ったり、いくつかのアイテムにだけDCブランドを取り入れたりする「カラス族」も多かったようです。この辺りは今も80年代の人たちも似ています。

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黒くないコム・デ・ギャルソン。『an・an』(マガジンハウス)1987年10月9日号

 コム・デ・ギャルソンは80年代も生成りの服や、茶色、青などのカラーの服を70年代に続き作っていました。そのため、当時のギャルソンファン=カラス族ではありませんが、カラス族の人たちに愛好されるブランドとして、コム・デ・ギャルソンがあったとは言えます。

独自のメディア

 最後に、当時のコム・デ・ギャルソンが行った特筆すべき事柄、カタログの製作について触れておきます。
 コム・デ・ギャルソンは他のブランドに先駆け、1975年からオリジナルカタログの制作を始めました。企画、スタイリング、編集すべてを社内で行うこの企画は、川久保さんの、ファッション誌のような既存メディアでは伝わらないブランドや自身のビジョンの発信を目的として始まったものでした。 

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当時の川久保。『ハイファッション』(文化出版局)1977年10月特大号 191ページ

 川久保さんと、ブランドのロゴを作ったことでも知られるアートディレクターの村田東治さんを中心に、ピーター・リンドバーグやハンス・フューラーといったカメラマンを起用して作成されていきました。

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ハンス・フューラー撮影。1983年。
『COMME des GARÇONS』(筑摩書房)1986年 144ページ

 このカタログ制作は1987年まで続けられたあと、ビジュアル雑誌『Six』に発展します。『Six』は1988年から1991年まで、全8号作られました。

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『Six』創刊号。
『pen + コムデギャルソンのすべて』(阪急コミュニケーションズ)2012年から

 こちらは内田裕也さんを起用したパルコの広告でも有名なアートディレクター井上嗣也さんが手がけ、井上さんはその後もコム・デ・ギャルソンの広告に多く関わることになります。

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1985年。東京タイプディレクターズクラブのページ「井上嗣也」から

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1989年。東京タイプディレクターズクラブのページ「井上嗣也」から

tokyotypedirectorsclub.org

 以上、 DCブランドとしてコム・デ・ギャルソンを見てみました。

 世の中にはいろんな服がありブランドもありますが、私はこの80年代前半、「DCブランドのコム・デ・ギャルソン」がいちばん好きです。もちろん! 今の川久保さんの作る服も好きなのですが、80年代前半という時代全体が好きなのもあって、やっぱりこれ以上のものは私にないかもしれません。ページを紐解いては、憧れています。