日本に「ブランド」はなかった

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『装苑』(文化出版局)1968年9月号 172、173ページ

婦人服の9パーセント

 『装苑』(文化出版局)の1964年8月号に、「服飾界は転換期にきている?」という特集が組まれている。

洋品類以外のすべての婦人服のうちに、既製服がしめている割合はアメリカでは九九%で、これは世界一。ヨーロッパではいちばん低いというフランスが、八二%。――一方、日本ではただの九%。昭和三八年度の購買人口占有率の調査結果です。

『装苑』(1964年8月号)

 驚きますね。 1960年代はじめの日本では、なんと9割のひとがオーダーメイドの婦人服を着ていたのである。町の洋裁店で作ってもらう、あるいはそれこそ『装苑』のような雑誌を参考に家庭で作る、ことが行われていたのだろうが、今考えるとなんとも豊かな時代だ。オートクチュール、と聞くととてつもないお金持ちがディオールやシャネルとやっていることのように思えるけれど、60年前の日本ではサイズをはかり、生地を選び、ぴったりの服を仕立てることは珍しくなかった。

 

 一方で、この次の9月号の『装苑』には、レナウン商事が東京都東村山市に婦人既製服専門の新工場を設立した、という記事が出ている。「レナウン組み合わせニット・イエイエ」のCMが松尾真吾によって制作、放送されたのは1967年だが、この時代の婦人服は、それまでのオーダーメイドの服づくりと新たな既製服の時代とのはざまにあったと言えるだろう。


レナウン「イエイエ」1967年

 

 ちなみに紳士服の世界はどうだったかと言うと、紳士スーツ、ズボンの世界では需要数やフィット性の点で製造が容易だったこともあり、婦人服に先駆けて既製服化が進んでいた。

 VAN(1954~)やJUN(1958~)の紙袋を持って銀座みゆき通りをぶらぶらする「みゆき族」が1964年に話題になったように、ブランドとして既製服を買う青年もすでに現れている。ファッション雑誌を見ても『装苑』(1936~)、『ドレスメーキング』(1949~)など当時の女性向け雑誌が洋裁をメインにしたつくりなのに比べ、『男子専科』(1950~)、『MEN'S CLUB』(1955~)、『平凡パンチ』(1964~)と男性向け雑誌はアイビールックの紹介を軸に、既製服を多く取り上げている。60年代前半、男性と女性の世界で、「既製服」の存在にはやや隔たりがあったようだ。

 

既製服(プレタポルテ)の芽

 1968年3月号の『装苑』に掲載された「ファッション界の新しい仕事=こんな職業が生まれてくる!」によれば、「日本における既製服の使用率は二五パーセント程度だといいます」とあり、「ここ一、二年の傾向から見て、まだまだ伸びると思われるのです」と続けられている。紳士服も割合に含められているのか、使用率はずいぶん伸びているが、それでも発展途上ではある。この「新しい仕事」の記事には、こういう文章もある。

日本に洋服が定着し始めたきょうこのごろ、若い人たちの間に「ファッション界で働きたい」という希望者がふえてきています。そんな若者たちがファッション界の仕事として頭に描いているイメージは、ほとんどの場合“独立した店を持ったデザイナー”なのです。それも普通の“洋服屋”でなく“オートクチュール”と称する高級洋装店、そして、ファッション雑誌に、自分のデザインが載るような、そんなデザイナーが夢なのです。

『装苑』(1968年3月号)

 つまり、当時の若者が思い描いていたのは、銀座のブティック「ハナエ・モリ」でオートクチュールの受注をしていた森英恵のようなデザイナーだったのだろう。なにしろ、既製服をデザイナーが作る存在としての「ブランド」は当時存在自体、ほとんどイメージされていなかった。

 先駆けと呼ばれる、ピエール・カルダンのプレタポルテ(既製服)・コレクション発表が1959年、イヴ・サンローランによるプレタポルテの店「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」開店が1966年。森英恵自身も1963年に「ヴィヴィド」というプレタポルテブランドを開始し、芦田淳も同年にテル工房で既製服の制作、販売をスタートさせ、少しずつプレタポルテの波は海外、日本で起こっていたが、この記事を見るかぎり、まだファッション業界志望者にとっての正統な道はオートクチュールにあったようだ。

 VANやJUNも優れたブランドながら、メンズのブランドであり、デザイナーの個性というより、アイビールックの伝統に従ってのデザインだったため、『装苑』を読むような若者たちが活躍する場としてのイメージはされにくかったのかもしれない。

 

 しかし、前述したイエイエのヒットでわかるように、日本でも既製服市場は60年代後半から強い勢いを持って成長を始める。とともに、デザイナーのなかから既製服市場に進出するもの、あるいは、デザイン性の高い既製服のブランドが現れていく。

 

既製服(プレタポルテ)ブランドの確立

 松田光弘によるニコルがスタートしたのは1967年だ。同年にはコシノジュンコによるブティック「コレット」も開店し、翌年にはJUNから「ロペ」が登場する。レディースの世界に既製服が広がるとともに、日本でも「ブランド」時代の幕が開く。

 1968年5月号の『装苑』には「〈座談会〉若手デザイナーの意見と生活! ヒッピー、サイカデリック大賛成!」という記事が掲載され、伊藤公、川上繁三郎、コシノジュンコ、鹿間弘次、鳥居ユキの5人が話し合っている。このなかの、伊藤公(ニコル所属のデザイナー。松田光弘夫人)の発言が面白い。

私、商売に向いていないんです。最近すごく疲れるんです。プレタポルテでも、自分のイメージの全然違った人が着たりすると、ものすごくショックなんです。

『装苑』(1968年5月号)

 そうだよな。

 伊藤公はインターネットには情報がほとんど見あたらないが、当時の『装苑』にはデザインした服が多く掲載されており、私は好きなデザイナーである。

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『装苑』(文化出版局)1970年4月号 108、109ページ

 そんなプレタポルテの夜明けの時代には、こんな企画も登場している。

新企画 全国各地で買える装苑モードコレクション

本誌がプレタポルテとして愛読者の皆さまにお分けするために製作したものです。本誌発表と同時に装苑モードチェーン加盟店(143ページ参照)で売られますが、各店とも同型は一、二点しかありませんので、すぐお出かけください。

『装苑』(1968年6月号)

 1、2点というのがすごい。チェーン加盟店は京王百貨店をはじめ、全国各地の洋装店だが、例えば大阪は「装苑モードサロン(ギンベル)」(堂島地下ショッピングセンター)の1店のみだから、どうだろう、争奪戦になったのだろうか。

 このように、1968年の『装苑』は、9月号には「あなたのための既製服大作戦」という大特集ページも組まれ、既製服(プレタポルテ)一色の感がある(この特集のなかの見開きページが、今回の最初の画像「既製服は安物か」で、画像のブランドは右から、一珠、ロペ、東京スタイル、馬里邑(2点))。

 翌年の1970年5月号に掲載された「ファッション・ドック」という、「あなたをより美しく修整する誌上の病院」がコンセプトのページでは、女の子のプロフィールと合わせて、おすすめの服が紹介され、

薄いブルーのワンピースは阪急ローマブティック(¥14,500)

バッグはワシントン(¥2400)

 となってくると、もう、いまのブランドカタログとなったファッション雑誌と変わらない。9月号には「新宿おしゃれマップ」も登場し、ボタン、バックルのお店〈オガワ〉や布地を売る婦人服地の店〈モミジ〉を取り上げているのは『装苑』っぽいが、合わせて既製服店ももちろん紹介されており、その名前は、

京王百貨店(3階)〈装苑モードサロン〉

京王百貨店(3階)〈芦田淳コーナー〉

タカノ(3階)〈ブティック・トリヰ〉

タカノ(3階)〈ブティック・ジュンコ〉

三愛(2階)〈スコッチクラブ〉

ひよしや

鈴屋新宿店

伊勢丹(地階)〈レディスカレッジアン〉

伊勢丹(3階)〈ジュニアレザーショップ〉

ROPE-ONO

 といった顔ぶれである。お店で既製服を買う、という習慣が10年ほどの間に、日本の婦人服に根付いていることが分かる。同年の12月号、後勝彦による「ファッション・スケッチ」には、さらに具体的な記述が見られ、それによれば、近ごろ「なんでもないもの」(既製服)を「実にすてきに着こなしている」女性たちが出現したと言い、それは

既製服が発達して、しゃれてよいものが多く出回るようになった

 からであり、

洋服に慣れた世代、洋服で育った世代、洋服があたりまえの世代、つまり既製服エージの成長ともいえる

 のである。また、

彼女たちのひいきの店は、〈鈴屋〉であり、〈ロペ〉であり、〈ヴィヴィド〉であり、〈タカノ〉であり、〈三愛〉であった。

のだ。

 そして、1970年12月号の『装苑』には、「秋のプレタポルテと既製服」の付録がつき、芦田淳や鳥居ユキのブティックをはじめ、ヴィヴィド、鈴屋、一珠、ロペ、馬里邑、三愛、レナウン、三陽商会、ワールド――といったおなじみの既製服メーカーが百花繚乱で紹介される。1970年は、3月に『an・an』が創刊され、菊池武夫らがビギを設立し、大川ひとみがミルクをスタートさせた年でもある。婦人服の世界にも、「ブランド」とともに、既製服は完全に確立していったのである。

 

最後に

 森英恵や芦田淳、鳥居ユキといった著名なデザイナー、あるいは現在も活躍するレナウン(もうないが、ちょっと前まであった)、三陽商会、ワールドといった面々はまだしも、鈴屋など、2020年を生きるヤングマンの私には耳慣れないブランドもあるので、そうしたブランドについては、別の記事で詳細を補足したいと思う。

 ひとまず、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。