生前服

生まれる前に生きるもの

プロフィール

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大阪の風景

名前:はつろく(初六早記)
twitter:@hatsusix
Pixiv:https://www.pixiv.net/users/15698386


広島県出身、大阪府在住。飼うなら犬派。


好きなブランド
コムデギャルソン/ヨウジヤマモト(ワイズフォーメンがいちばん好きです)/イッセイミヤケ/ミナペルホネン/フレッドペリー/ドクターマーチン/他多数!

 

服に関する思い出
21歳くらいまで:地元のスーパーやユニクロの服を着ていた。好きな服の傾向はあり、まったく無関心ではなかったが、ブランドの服を買おうとは思わなかった。
21歳くらい:記憶が曖昧だがモッズに興味を持ち、フレッドペリーというブランドを知った。ブリティッシュ・ロックはビートルズをはじめブラーなどブリットポップも好きだったし、モッズはパンク・ファッションにも影響を与えていたと知って、好感を抱いた。初めてブランドの店舗を訪れ、長袖のボタンダウン・シャツを買った(ポロシャツを買え)。当時は本当に服には無関心という格好をしていたが優しく対応していただき、商品を出口まで持ってきてもらう経験も初めてだったので戸惑ったがうれしかった。
22歳くらい:フレッドペリーを着ていた。
23歳くらい:モッズ→パンクの流れでアンダーカバーなど裏原のブランドが好きだった。
24歳くらい:大昔から好んでいた80年代カルチャーを服でも表したいと思いはじめ、ヨウジヤマモトやコムデギャルソンを着るべきだと考え出す。正規店に行き食費をなくしたり古着を買ったりする。インターネットや店舗で80年代、90年代のそれらDCブランドの古着を発見し、買うこともはじめる。
24歳くらいから:DCブランドの古着、新しいコムデギャルソンをときどき着るが、だいたいはイオンで買った服を着ている。

 

経歴の・ようなもの
 いちばん好きな映画は、市川準の『BU•SU』で、話も富田靖子も映像の美しさも原由子の歌も全部好きなのだけれど、なかでも「街」の美しさに釘付けになる。このころの、この東京に行きたいな、と思う。
 今住んでいる大阪だってそうだ。扇町ミュージアムスクエアに、心斎橋筋二丁目劇場、北浜にあった中島らもの事務所……八〇年代の街は、私にとって文化的で、美しくて、写真を見ているだけで胸がつっかえてきてしまう。私は生まれてないどころか、両親さえ出会っていなかったのに。
 あの「街」はどこに行ってしまったのだろう。文化はすべて解体されていく。上にあげた大阪の場所はすべてない。東京も、『BU•SU』に出てきたWAVEは消え、六本木ヒルズのメトロハットが建っている。それは巨大な広告塔である。
 どこかでなにかを間違えたのだ。そうとしか思えなかった。
 私は本当はこのブログに書いているようなことを書いて暮らしていきたかった。けれど、当たり前のようにそんな場所はどこにもなかった。メディア業界の職は、東京で五百万の学費を払い六万の家賃を毎月払って生活できる私立大学の学生か、かなりの偏差値を持つ国公立に進学したものに限られているように思えたし(私にはもちろんお金もなかったし、頭も偏差値よりちょっとマシというくらいだった)、それ以外の道でライターになるには、手取り十六万の小さな編集会社に入るか(それすら狭き門らしかったが)、もしくはインターネットでノイズにしか思えない宣伝記事や、自分が散々うんざりさせられた「人材」を集めるための記事を大量に生み出していくしか方法がないようだった。もちろん、奨学金の返済を抱えた私に前者は選べなかったし、後者をやるのは耐えられなかった。
 でもそれは、「自己責任」だろう。「好きなことで、生きていく」には勇気も知能もガッツも足りなかったのだ。「経験者募集」や「契約社員」の求人はいやになったし、太くない実家に生まれたことも問題ではあるけれど、根本的な問題は、私にある。社会が悪いんだ! とばかりは思わない。そういう性格と能力の人間はそもそも生きていきにくいもので、それは昔も似たようなものではあっただろう。
 とは思った。十分理解した。けれどどうしようもない自分は我慢するとしても(もう20年以上そうしてきたのだ)よく考えると、最初に書いたみたいに、「街」ごと、日本は変わっている。あの文化的で美しい街は消えてしまって、今のこのどうにもならない街だけが目の前に広がっている。まあ美しい「街」だって、パワハラや女性差別の旧弊をいっぱい抱え込んではいたのだろう。でもなくされていったのは旧弊だけではないのだから。
 「好きなことで、生きていく」イデオロギーから離れて私は、若干の諦めという余裕とともに本を読み出した。改めて記事を書くことにした。それはもうブログを書籍化するためでも「あなたのポートフォリオ」を作るためでもない。『BU•SU』の麦子がいた「街」がいつ、どのようになくなったのか、それを考えたかった。岡崎京子の描いた『東京ガールズブラボー』の金田サカエが憧れた「ニューウェーブ」な東京がどこで破壊されたのか、それを考えたかった。
  どこかでなにかを間違えたのだ。もちろん、一人だけではない。政治にも企業にも「街」に暮らす人々にも責任はあるだろうけれど、そこにだけ帰すこともできない。きっとそれは「日本」という国のすべてにかかっている。例えばそれは明治維新の成立にまで遡れるかもしれない。六〇年代の新左翼や学生運動を見つめたとき、八〇年代が見えてくるかもしれない。私はそれを知りたい。
 私はどうしようもない、能力の欠けた人間だけれど、生きているし、小学校五年生のとき聞いた「セーラー服と機関銃」以来、私は生前の「街」を愛しているのだから。あの「街」にはたった一度も行けないけれど、愛した人が死んだなら、聞かないといけない。「なんで死んだの?」