金田サカエさんはどこに行きたかったのでしょう

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単行本(宝島社) 1993年1月

東京ガールズブラボー(1990年12月号~1992年12月号)

 岡崎京子の『東京ガールズブラボー』は宝島社のファッション誌『CUTiE』(1989年~)に1990年から連載された。80年代初期を舞台に札幌から両親の離婚で東京へ引っ越してきた高校生、金田サカエを描いた作品である。

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金田サカエ

 サカエは札幌時代から仲間と「N.Wのどーじんし」を作るなど当時のニューウェーブ・カルチャーに(おそらく『宝島』や『Olive』、レコードを通じて)浸かった少女であり「トーキョー」に憧れていた。だが空港に着いて目にした人々は案外ダサく、さらに聖子ちゃんカットをした従姉妹の巣鴨の家に住むことになる。「東京」の現実を感じながらも同じくニューウェーブ・カルチャーのファンであるミヤちゃんやなっちゃん、マーキン、犬山くんと出会って物語は進んでいく。

 岡崎自身が「あの時代を忘れないようにかきとめておこう」(コミックス巻末対談にて)と語るように、当時のニューウェーブな少年少女の日々、東京という街のある側面が丁寧に描き出されている(そもそも金田サカエという名前自体が、80年代から活躍していたスタイリスト兼田サカエからとられたものだ)。

 今回の記事は、サカエの台詞を参考にニューウェーブな少年少女が憧れた場所についてまとめていく。簡単にまとめたんですが、長い。サカエはいっぱい行きたいところがあった。

 

東京に着く

 東京行きが決まったサカエは札幌で友人たちに言う。

あの!! 
ツバキハウスと
屋根ウラと
ピテカンのある
トーキョーに
行けるのよ!!

上巻3ページ

 ツバキハウス……新宿テアトルビル5階にあったディスコ。1975年開店~1987年12月閉店。大貫憲章がDJを務める「ロンドンナイト」(1980年~)では、パンクなど最新のロックを流し人気に。文化服装学院や東京モード学院が新宿にあったためか、ファッションにおいても流行を意識した若者が多く集まった。劇中では「ヘンなかっこ」と呼ばれているが。でもそれは「カッコつけてるカッコイイ人々」でもあった。
 屋根ウラ……屋根裏。渋谷にあったライブハウス。1975年12月26日開店~1986年8月閉店、下北沢に移転(2015年閉店)。4階建てのビルで1階がパチンコ屋、2階がキャバレー、3階が屋根裏、4階が楽屋だったという。1978年にフリクション、S-KENがデビューしたりRCサクセションが1980年に動員記録を塗り替えたり、歴史に残るライブも行われている。P-MODEL、INUも出演。
 ピテカン……ピテカントロプス・エレクトス。1982年12月20日開店~1984年7月28日閉店。スネークマンショーの桑原茂一がプロデュースした日本で初めてのクラブ。お店は地下にあった。中西俊夫らのMELONがライブを行い藤原ヒロシがDJを務め、1984年6月18日にはナム・ジュン・パイク、細野晴臣、坂本龍一、立花ハジメ、高橋悠治らがパフォーマンスを行い、堤義明夫妻、浅田彰らが観客となるなど、とてつもないことになっていた場所。ただ岡崎京子(当時19~20)が「あたしにはちょっとシキイが高くて居心地が悪かった」と言うように、その文化的なレベルの高さは、緊張させられる場というか、ツバキハウスのようなディスコとはまったく異なったおしゃれさがあったと思われる。

 

 テクノポリス・トーキョーへの夢を抱いて上京したサカエだったが転校初日に金髪モヒカンにして停学をくらったせいか母には学校とスーパーと八百屋くらいしか行かせてもらえない。

原宿のミルクも
行ってないし

上巻18ページ

 ミルク……大川ひとみがデザイナーを務めるファッションブランド。1970年原宿セントラルアパートで創業し、現在に続く。開業時は狭い間口に奥行きの深い細長いお店だった。パンクとロマンチックな雰囲気を併せ持つデザインが特徴。『東京ガールズブラボー』のほかのシーンでもミルクの名前は登場し、ニューウェーブ少女からの人気の高さが窺える。

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ミルク。『Olive』31号(1983年10月3日号)から引用

ジャーン ここが/ラフォーレでーす

 その後おつかいの帰りに渋谷のライブハウスへ近田春夫とビブラトーンズを見に行ったサカエは、さらに母からの監視も厳しく「かごの中の小鳥」となるのだが、今度はそのライブで知り合ったなっちゃんとミヤちゃんの協力(学校をバックれて門限までに帰る)を得て初の東京観光に繰り出すことになる。

 東京育ちの二人から「どこらへん行きたいの」と問われたサカエが答える、この作中屈指の名シーンがこれである。

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呆れる二人

ラフォーレ、原宿プラザ、ミルクはもちろん、
竹下どーり、キーウエスト・クラブ、
サンドウィッチのバンブーに、キディランド、
カフェ・ド・ロペ、ハニワのお花屋さん、
古着屋のフェイクにアカフジでしょ
ア・ストア・ロボットの近くには
ピテカンがあるのよね
 モンクベリーズも行きたいわ

オン・サンデーズもみたいし
佐賀町エキジビットスペースも
原美術館もいわさきちひろ美術館も
いいわね
代官山でハリランとホームズ
とピナコラーダとパノラマ、
ヒルサイドテラスも


パルコパート3も
行きたいし
東急ハンズも
西武のM2Fも
チェックしたいし

あとゼェェッタイ
ナイロン100%!!


ナイロン100%で
ラムミルクのむの
ゆめだったのよ
そうそシンクってバーにも
行きたいわあ
 ミント・バーもね


フジヤマレコード
もみたいしシスコも
新宿レコードも
アタタックレーベルは
WAVE行けば
あるかしら?
 あとハイドパイパーも


高円寺のBOYにも
行きたいし水瓜糖も
キチジョージのペンギンカフェも
中野のクラシックも
三鷹オスカーで3本立ても

 

あとガロ編集部と
ビックリハウス編集部と…
 くすっ

上巻40ページ

 ここで二人からストップが入り、「いくら何でも/今日一日でそんな/みれないって!!」と当然の指摘が入るが、「そーかな?」とサカエは夢見心地だった。

 あと神田の
ブラックと法政大学の
コードーとあとあと

いーかげんにしなさい
 行くよ!!

あと絶対!
ブンカヤ!!

まずハラジュクだ!!

上巻41ページ

 このサカエの長い語りシーンには、当時のニューウェーブ少年少女がいかに東京という都市に憧れていたかくっきり表れている。一日ではとても回りきれない範囲と内容を思い描くサカエは二人に「やっぱイナカモノ」と心の中で思われるように、東京へ来たばかりの高校生にすぎないのだが、けれどこれだけの名前を挙げることができる。すごい。すごいことになっていたのである。

 

 ラフォーレ……ラフォーレ原宿。地上6階地下2階建てのファッションビル。1978年10月28日~現在。DCブランドブームをパルコ、丸井とともに支える。

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80年代のメンバーズ・カードのパンフレット

 原宿プラザ……原宿セントラルアパート(1958年~1998年)の地下にあった、ブティック街。1973年~1990年ごろ。ミルクは1階にあり原宿プラザのお店としては、パンクファッションの「東倫」などロック系のアパレル、雑貨店が多かったようだ。


「原宿マップ」80年代の原宿 竹の子族〜ローラー派〜ニューウェイヴ派

 5分30秒ごろに「原宿プラザ」が登場する。この動画消さないでくれ~。

 ミルク……上記
 竹下どーり……竹下通り。1970年代後半から賑やかになった、原宿駅から明治通りに下る通り、商店街。
 キーウエスト・クラブ……表参道にあったカフェバー。1983年4月27日~? アパレルメーカー東京ブラウスが運営。白一色で統一された店内などその斬新な雰囲気が人気を集めた。姉妹店に青山のブリンプ・クラブがある。

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『月刊食堂』(柴田書店)1983年9月号 281ページ

 サンドウィッチのバンブー……表参道にあった、日本で初めてのサンドウィッチ専門店。1977年~2005年11月(イタリアンレストランにリニューアルし、現在も営業中)。店外まで行列ができるほど、人気を博した。
 キディランド……表参道にある雑貨、玩具店。80年代当時の原宿店は、1966年に竣工された本店ビルの地下1階から5階に店舗を構え、キャラクター商品や文房具、雑貨等を販売していた。店舗は建て替えられたが、現在も同地で営業中。マーク・ボランなど海外ロックスターがお土産を買ったりもしていたらしい。

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『You遊マップ 渋谷・原宿・六本木』(講談社)1986年 46ページ

 カフェ・ド・ロペ……表参道にあったジュングループの運営するカフェ。1972年~? オープンカフェのはしり。
 ハニワのお花屋さん……表参道にあった「ハニワフローリスト」(表記がちがうかもしれません)だと思われる。はにわとドライフラワーを売っているお店だったようだ(ほんとうにあったのだろうか……)。サカエが知っているからには雑誌の記事になっているはずなので、調べます。
 古着屋のフェイク……原宿の裏通りにあった古着屋フェイク。?~? 現在はフェイクのボーイズ版として1985年6月に開店したフェイクα(アルファ)のみオーナーの交替等を経て営業中。
 アカフジ……赤富士。アメリカ、ヨーロッパの古着とオリジナルアイテムのセレクトショップ。1970年代(原宿プラザ)~(原宿竹下通りの175番館2階)~? 上記「原宿マップ」の映像によれば、「東倫」のあった場所はもともと赤富士だったという。セックス・ピストルズのレコードを日本で最初に販売した場所でもあり、ロック色の強いアイテムも取り扱っていた。

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『You遊マップ 渋谷・原宿・六本木』(講談社)1986年 30ページ。175番館時代。

 ア・ストア・ロボット……原宿に現在もあるパンクファッションのブティック。1982年夏~現在。ロンドンの「ロボット」から直輸入を行うシューズブティックとしてスタート。セディショナリーズやヴィヴィアン・ウエストウッド等のパンクファッションをいち早く日本に紹介した。ジョンソンズのシューズも有名。
 ピテカン……上記
 モンクベリーズ……原宿の第一地産ビルにあったクラブ。地下1階がワインバー、地下2階がダンスフロアだった。?~? Dub Master XがDJを務めた。いとうせいこうがラップのライブを行ったことも。あまり広くはなかったが、大貫憲章によればロンドンのクラブと近い感じがあったようだ。
 オン・サンデーズ……現在、表参道にあるワタリウム美術館(内の同名ミュージアム・ショップ)。1980年~現在。現代アートに関する、書籍、ポストカード、文房具、雑貨等を販売していた。このオン・サンデーズと、もともとあったギャルリー・ワタリとをベースに1990年9月設立されたのがワタリウム美術館である。
 佐賀町エキジビット・スペース……堀内誠一のもとで働き、後にパルコの企画広告ディレクターや「無印良品」(1980年~)の立ち上げ、展覧会の企画などに携わった小池一子が江東区佐賀にあった昭和初期建築「食糧ビル」3階でオープンしたスペース。1983年~2000年。大竹伸朗、高畑早苗など現代美術作家の展示を中心とした。
 原美術館……品川にあった、実業家原邦造の邸宅に設立された私設美術館。1979年12月~2021年1月11日。現代美術の専門館であり、ジャン=ピエール・レイノーの「ゼロの空間」(1981年)等を収める。
 いわさきちひろ美術館……練馬にある、現在のちひろ美術館・東京。1977年9月~現在。子供を描いたイラスト、絵本、黒柳徹子『窓ぎわのトットちゃん』の表紙・挿絵で知られるいわさきちひろの美術館。併設される図書館には開館以来の来館者が記した感想ノートが保存されており、なかにはサカエのような若者の声も眠っているかもしれない……。
 代官山でハリラン……代官山にあるセレクトショップ、ハリウッド・ランチ・マーケット。1972年(千駄ヶ谷にて)~1979年(代官山に移転)~現在。バンダナをはじめとするオリジナルアイテムのほか、ネルシャツ等アメリカンスタイルの古着など。前身は「極楽鳥」というお店。
 ホームズ……ハリランと同じく株式会社聖林公司が恵比寿で運営していたホームズ・アンダーウェア。1984年4月~? 現在はブランドのみ継続。室内着、下着を中心に文房具も扱っていた。
 ピナコラーダ……代官山にあった古着店。?~? ビンテージのヨーロッパ古着等を扱った。後に中目黒に移転したが現在は閉店している様子。
 パノラマ……代官山にあった雑貨店。80年代中頃~? 輸入雑貨ではなく、日本のレトロなビンテージ品を扱っていたのが特徴。
 ヒルサイドテラス……代官山にある集合住宅、店舗、オフィスなどからなる複合施設。1969年~現在。サンドウィッチ店「トムスサンドウィッチ」(1973年~2019年)、クリスマス雑貨店「クリスマスカンパニー」(1985年~現在)、ビギのアトリエ兼ショップ、新作中華料理のレストラン「東風」(2号店。六本木に1号店があり、この1号店はYMOメンバー行きつけの店でもあった)などがあった。
 パルコパート3……渋谷パルコ・パート3。地下1階地上8階建てのファッションビル。1981年9月10日~2016年8月7日。8階にあった多目的ホール、スペース・パート3(1981年9月~1999年映画館「シネクイント」に改築)では、ルキノ・ヴィスコンティの映画祭と衣装展、ぴあフィルムフェスティバル第5回(1982)から第10回(1987)などが催された。
 東急ハンズ……おそらく東急ハンズ渋谷店。ホームセンター、雑貨店。1978年9月~現在。傾斜地に立てられた独特の構造が特徴。それまで専門店にしかなかった建築資材を渋谷の街中に持ってきたところが新鮮だった。
 西武のM2F……西武渋谷店A館M2F。1968年4月19日~現在。西武百貨店の旗艦店。が、なんでM2Fなんだろう? 調査中です。
 ナイロン100%……渋谷センター街にあったカフェ兼ライブハウス。1978年8月~1986年3月。白を基調とした店内、ニューウェーブや環境音楽など先端的な選曲、8 1/2の久保田慎吾、戸川純、ケラなど「ニューウェーブ」の人々が多く通ったことで有名。81年5月にはゲルニカのデビュー・ライブも行われている。ばるぼら『NYLON100%』(アスペクト)に詳しい。
 シンク……渋谷にあったロックバーのようだが、詳細不明。
 ミント・バー……六本木のカサグランデミワビル地下1階にあったバー。?~? レッドシューズ、インクスティック(ミント・バーと同じ階にあった)を生み出したプロデューサー、松山勲による店舗のひとつ。
 フジヤマレコード……三軒茶屋にあるレコード、CDショップ。1984年3月~現在。インディーズの音源を豊富に扱うことで知られる。店長は下北沢のレコード店、五番街の出身。
 シスコ……CISCO。渋谷にあったレコード店。1972年~2007年(オンライン販売のみに変わったが、翌年10月31日閉店)。西武渋谷店地下1階BE-INに開店したのち、宇田川町のビル2階へ移転した。最先端の輸入盤を扱うことで80年代に名をはせる。
 新宿レコード……西新宿にあったレコード店。1970年2月~2017年(下北沢に移転~現在)。ハードロックやプログレッシブロックなど輸入盤を中心とした品揃えで知られる。来日した海外ミュージシャンも多く訪れた。
 アタタックレーベルはWAVE行けば……六本木WAVE。1983年~1999年12月。六本木にあったレコード、CDショップ。高層ビルの1~4階に店舗を構え、テーマに合わせたフロア構成、店員によるPOPの設置など、いまでは定番となったCDショップの形式を確立した。またその多様、豊富な在庫量も有名。市川準監督『BU・SU』(1987年)でも姿を見ることができる。アタタックレーベルはデア・プラン、D.A.Fらが作品を発表した80年代ドイツを代表するレーベル。
 ハイドパイパー……パイドパイパーハウス。青山にあったレコード、CDショップ。1975年11月~1989年6月29日。現代音楽、ニューウェイブ、西海岸ロックなど時期によって傾向が異なった。村上春樹の短編「雨やどり」(1983年)に登場する。
 高円寺のBOY……高円寺にあるレコード、CDショップ。1980年1月~現在。パンク、メタルの音源を、インディーズも含めて揃える。80年代当時は、毎週入荷される輸入盤、インディーズ、輸入雑誌、ファンジン等も取りそろえたパンク、ニューウェーブに特に強いお店だった。
 水瓜糖……西瓜糖。阿佐ヶ谷にあったカフェ。1979年~2008年3月。現代アートの展示も行った。ガラス張りの入口、ステンレスのテーブルなど、独自のモダンな雰囲気を持つ。
 キチジョージのペンギンカフェ……吉祥寺にあったカフェ。1981年10月21日~? ビルの2階がカフェであり、3階にペンギンカフェTWO(1983〜?)という食器、家具、アパレル等を扱う雑貨店もあった。またちょっと離れた住宅街の入口に文房具、雑貨等のペンギンカフェTHREE(1985〜?)も展開。ミニマルでヨーロッパ風の雑貨は人気を博し、最盛期には原宿に支店、そごう、西武等にコーナー出店もしていた。
 中野のクラシック……中野にあった、名曲喫茶クラシック。1945年9月~2005年1月。3階建ての木造建築で、安部公房、五木寛之らが通ったという。名前の通りクラシックが中心で、店主であり画家だった美作七朗の自作絵画や真空管アンプなど歴史ある空気に店内は包まれていた。後継店に高円寺の名曲喫茶ルネッサンスがある。
 三鷹オスカー……三鷹にあった映画館。1951年(三鷹東映。三鷹オスカーの名前は1980年)~1990年12月30日。邦画・洋画ともにかける名画座で、閉館時でも三本立ては大人1000円、学生800円の低価格だった。
 ガロ編集部……漫画雑誌『月刊漫画ガロ』(青林堂)の編集部。『ガロ』は1964年7月24日~2002年ごろ。80年代当時、編集部は神保町の材木店の2階にあった。80年代前半のガロは、湯村輝彦による表紙、根本敬、蛭子能収、杉浦日向子、やまだ紫、菅野修、谷弘兒など。
 ビックリハウス編集部……パロディ雑誌『ビックリハウス』(パルコ出版)の編集部。『ビックリハウス』は1975年1月号~1985年11月号。読者投稿コーナー「ビックラゲーション」や糸井重里主宰「ヘンタイよいこ新聞」で知られる。編集部は渋谷パルコ向かいの雑居ビルにあった。
 神田のブラック……BLACK。神田のシンコー・ミュージック本社ビル地下1階にあったロック・ファッションのブティック。?~? BLACK(Aが逆になっている)という同名のお店も原宿にあったようだが、詳細は調査中。

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『You遊マップ 渋谷・原宿・六本木』(講談社)1986年 23ページ。原宿のBLACK。

 法政大学のコードー……市ヶ谷にあった法政大学学生会館。1973年~2004年。ROCKS→OFF等の学生団体の企画したイベントが頻繁に行われた。80年代当時はタコやじゃがたらのコンサート、ソビエトの映画祭などを行っている。
 ブンカヤ……渋谷にあった、文化屋雑貨店。1974年3月24日~1988年(原宿に移転、2015年閉店)。蔦谷喜一のグッズをはじめとする雑貨のほか、洋服などアパレル商品も扱った。犬山くんも「文化屋の赤いくつ下」を履いている(下巻29ページ)。ニューウェーブな若者にとって憧れのブランドはコム・デ・ギャルソンやワイズ等のDCブランドだったが、もちろんそれらは高価格であり、文化屋は手が届く値段かつおしゃれという点で人気があったようだ。

 

 この日、ラフォーレ原宿以降に三人がどこに行ったかは描かれていない。ミルクは行ったと思う(勝手に思っている)。

死んじゃおーかな/でも

 初の東京観光翌日は火曜日、つまり「ロンナイのひ」。というわけで、ラフォーレの翌日も三人はツバキハウスへ繰り出したが、今度は踊りまくって酔っ払ってサカエは友達のマーキンの家で寝入ってしまう。外出禁止なのに。しかも起きてから家に帰るのが怖くなったサカエは、ツバキからいっしょの犬山くんと山手線をぐるぐる回ったりレコード屋やブティックを覗いたりして、でも最終的には家に帰って謝る。が、ついに呆れられた母から本郷の祖母の家行きを言い渡されてしまう。「いんぎんぶれいでクソマジメでイジワルでヤな」祖母の家行きはサカエにはつらく、今度は家出することを決意。「ひょうきん族」のタケちゃんマンのオープニングに映ってたから、という理由でセンチュリーハイアットに(家から持ってきたお金とパチンコで増やしたお金で)泊まってみんなを呼んで大騒ぎしていたらロンナイで出会った男の子と再会、部屋を抜け出して自転車に二人乗りしていたら警察に捕まって家に送還されるのだった。――岡崎京子が「『サカエ、オマエの人生、これからどうするんだ!?』とか、いつも文句いいながら描いて」いたのも分かる。奔放すぎる。でもまあそう来なくっちゃね。

 しかし、さすがのサカエも、本郷の祖母の家で怒られ、ハイアットに置いて行かれて大変だったなっちゃんに怒られ、犬山くんにひそかに恋するクラスの丸玉さんに嫌がらせされ、ミヤちゃんとは会えなくなって(ミヤちゃんはトッパツ的にうつっぽくなるようで、これはサカエとは関係ないけれど)すっかり落ち込んでしまうのだった。そんなとき、またまたロンナイの男の子と再会するのだが、今度は男の子が「今年入って13人(うち処女4人)」(どうなんだ)というやつだったと分かってしまい、怒って飛び出したあと、ついには「死んじゃおーかな」とまで思い詰める。でも。

でも
やっぱピテカンと
レッドシューズに行って
DAFとファンボーイ観て
佐賀町カフェでお茶して
スエンセンズで
ロッキー・マウンテン食べてから
にしよう
 でんしゃもはしってないし

上巻165ページ

 まだ、東京は広い。

 ピテカン……上記
 レッドシューズ……松山勲がオーナーを務めた、西麻布のクラブ。1981年12月~1995年(2002年南青山で再開~現在)。麻布パレス地下1階にあり、「カフェバー」の代表的存在でもあった。広いカウンターが有名。デヴィッド・ボウイをはじめ、ミュージシャンや業界人も多く訪れた。
 DAFとファンボーイ……D.A.F。ドイツのバンド。電子音楽を用いた、ジャーマン・ニューウェーブを代表する存在。1978年から1982年の解散、再結成を経て2020年には結成30周年ツアーを行った。ファンボーイはファンボーイスリー、テリー・ホールがザ・スペシャルズ解散後結成した英国ニューウェーブのバンド。1981年~1983年。実験的かつポップな楽曲で「Summertime」はシングルヒットとなった。
 佐賀町カフェ……佐賀町エキジビット・スペースと同じ、江東区佐賀の食糧ビルにあったカフェ。?~? ギャラリーとしても機能していた。
 スエンセンズでロッキー・マウンテン……アメリカのソフトクリーム・チェーン、スエンセンズのFC店で、青山をはじめ渋谷、大阪・梅田など各地に展開していた。1979年7月(青山店)~? ロッキー・マウンテンは数人で食べられるような大きな豪華パフェらしい。

 

 このあと、回復して「浮き上がり」になって登校したミヤちゃんがサカエの受けている嫌がらせに怒り、なっちゃんを連れてサカエに会いに来てくれたことから三人の関係は修復される。その後、嫌がらせの犯人探し、マーキンが働く自販機本(自販機で売られていたアダルト雑誌)のインタビューに三人で参加(サカエはイラストも描いた)、母と父の仲直りによる札幌帰りの決定、東京にいるための資金稼ぎの手段としての「白線社アテナ大賞」(少女漫画賞)への応募、マーキンの失踪、丸玉さんの大変身、そしていよいよ札幌へ……と物語は進む。

 このあいだサカエは池袋の「よくわかんないディスコ」に巣鴨のいとこたちと出かけたりはしているが、特にニューウェーブなスポットに(作中で)出かけたりはしていない。札幌行き直前にはこんな回想をしている。

結局
ピテカンも行ってないし
クライマックスも行ってないし
玉椿も行かなかったなぁ

ナイロン100%には
行ったけど

あのミラーボールの下でゲルニカが
デビューしたと思うとカンガイ
深かったなぁ

下巻151ページ

 ピテカン……上記
 クライマックス……六本木にあったクラブ。1980年9月~? ニューウェーブ、パンクを中心とした選曲がされていた。
 玉椿……ツバキハウスの2号店として六本木スクエアビル地下1、2階にオープンしたクラブ。1980年11月~? 地下1階が飲食、イベントのスペース、地下2階がダンスフロアとなっていた。ツバキ・ボール。PILも訪れたらしい。
 ナイロン100%……上記

 

 と、飛行機に乗ったサカエだったが、「何か恥づかし」くて「しめっぽいのとか/やじゃん」とみんなにあいさつなしで旅立とうとしたことがやっぱり気になって、飛行機を飛び出してしまうのだった。

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岡崎京子の描く、とても良い表情……!

金田サカエさんはどこに行きたかったのでしょう

 さて、サカエは東京で一人どうするのか(「なんも考えてなかった」のだけど)。思いついたのは、ノーパン嬢として働き、

ちょきんをしてから
セツか文化服装か
桑沢に通うわ

四谷シモン人形学校か
美学校でもいいわね

それから
アルファレコードの
受付嬢になるの
 くすっ

下巻158ページ

 セツ……セツ・モードセミナー。新宿にあった美術学校。1954年(高円寺の「節スタイル画教室」として)~1965年(新宿に校舎新築)~2017年4月23日。実技を中心とした、「芸大かセツか」と言われる前衛的、自由な校風で知られた。出身者に森本美由紀、金子功、中西俊夫ら。
 文化服装……文化服装学院。日本で最初のファッション専門学校。1919年(青山の「並木婦人子供服裁縫教授所」として)~1936年(「文化服装学院」の名前に)~現在。出身者に山本耀司、松田光弘、甲賀真理子ら。新宿に行ったとき変わったビルがあるなーと思ったらそれが文化でした。
 桑沢……桑沢デザイン研究所。デザイン・ジャーナリスト桑沢洋子によって、ドイツのバウハウスをモデルに作られたデザインの専門学校。1954年(青山にて)~1958年(渋谷に移転)~現在。出身者に奥村靫正、倉俣史朗、牛腸茂雄、藤原カムイら。
 四谷シモン人形学校……人形作家四谷シモンが主宰する、エコール・ド・シモン。1978年~現在。四谷シモンは球体関節人形の作家として著名。
 美学校……現代思潮社の石井恭二、川仁宏らによって作られた私設学校。1969年(新宿にて)~1970年(神保町に移転)~現在。赤瀬川原平をはじめとする美術家、著名なクリエイターが講師を務めた。出身者に南伸坊、渡辺和博、泉晴紀、久住昌之ら。
 アルファレコード……村井邦彦によって作られたレコード会社。1969年(音楽出版社アルファミュージックとして)~1977年(レコード会社アルファレコードとして)~紆余曲折を経て、現在はソニー子会社として音楽出版業務を行う。細野晴臣と高橋幸宏を中心としゲルニカがデビューしたYENレーベルが有名。YMO『パブリック・プレッシャー』、戸川純『玉姫様』、越美晴『パラレリスム』、スネークマンショー『死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!』もMELON『ドゥー・ユー・ライク・ジャパン?』もみんなアルファレコード!!

 

 そんなサカエらは、ひとまず「これからどーする?」ということで、「スタジオ200でミュートビート」を見に行く。

 スタジオ200……西武百貨店池袋店8階の端に作られた、席数200のイベントスペース。1979年~1991年。前衛舞踏家モリサ・フェンレイの公演など、ライブ、ダンス、演劇等さまざまな催しが行われた。ミュートビートは1981年結成。ルードフラワーを前身とする、トランペッター小玉和文を中心としたダブ・バンド。


Mute Beat - Still Echo

 ライブの帰り、アスファルトに寝っ転がって、「いつまでも/こんな風でいたいな/いつまでも/いつまでも/こうしていたいな」と続けるなっちゃんの話を聞いていた三人は、警察に見つかって、サカエは札幌に連れ帰られるのだった。ラストのコマで、サカエは家出を決意する。行きたかった東京へ。そして、モノローグで作品は幕を閉じる。

 

そんであたしは高校卒業するまでに
6回家出して6回ともつれもどされた

その間にYMOは散会しディズニーランドは千葉にできて
ローリーアンダーソンがやってきて
松田聖子がケッコンした
ビックリハウスが休刊して「アキラ」が始まった

何となく「どんどん終ってくな」という感じがした

浪人して美大に入って東京で一人ぐらし始めた年に
チェルノブイリとスペースシャトルの事故が起こった

しかしその頃ぶっとい眉したあたしには「どうしたら
上手くたてロールが出来るか?」とかの方が大問題では
あったのだった

そしてそれから
みんな、口をそろえて
「80年代は何も無かった」ってゆう

何も起こらなかった時代
でもあたしには……

下巻168ページ

 

 YMOの散会とディズニーランドの開園は1983年、ルー・リードの妻でニューウェーブのアイコンとされた、現代美術家ローリーの初来日は1984年。松田聖子結婚とビックリハウス休刊は1985年、アキラの連載開始は1982年で映画公開が1988年、連載終了が1990年。チェルノブイリ原発とチャレンジャー号の事故が1986年。80年代を「ハッキリ言ってスカだった!」と表紙に書いた別冊宝島『80年代の正体!』が1990年の刊行。細かな時代のずれはあるけれど、サカエの言いたいことは分かる。もちろん、実際にその時代を過ごした思い出を「何も無かった」とはとても言えないけれど、きっとそれだけではない。とにかく、札幌の高校生がこれだけ行きたい場所を見つけるような、途方もないエネルギーが「ニューウェーブ」にはあったのだ。

 

それに私としてはあの頃蒔かれただけのタネはいっぱいあって、まだまだ育てたり実らせたり咲かせたりできるものもいろいろあるような気もするわけです。

岡崎京子。下巻巻末、浅田彰との対談にて

  「でもあたしには……」。

 サカエが続けたかった言葉を、考える。それを咲かせる方法――。